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Osaka Association for High School Mathematics Education

いわゆる大阪案の総括

大阪高等学校数学教育会 研究部
成城工業高等学校 荻田 竜三


本稿は,会誌「50周年記念特集号(1999年11月)」に掲載されたものです。

はじめに

現場の教師には、目の前の子供が大事である.日々の雑務で将来の数学教育を考える余裕は少ない.しかし、数学を教えていて生徒が成長している実感が少ないのも、また現実である.数学の良さが生徒を育てていない.

生徒が育つ教育内容に編成し直すのが、今回の教育課程を提案した動機であった.教科として数学が生徒を育てるシステムを考えたい.数学を学ぶことで生徒の思考力・判断力を育てたい.

さらに今回の大阪案では、教師が教えたい数学の内容を提案するだけではなく、生徒にとって数学を獲得するプロセスを保障し、自分の意志で学習することにより生徒の人間的な成長が期待できるような教育課程を考えた.

さて、高等学校の数学教育は、将来どのように変化していくのか.人々は子供に数学教育をする意味をどのように考えているのだろうか.そもそも高校での数学教育が存在するだろうか.

これを考えるためには、一つは過去の数学教育の歴史と社会意識の変化との対応を考えて将来を予測する時系列の見方がある.一つに現在の人間の内面にとって数学学習の効果を明確にし、それを豊かにする具体的な方策を探る方向がある.

大阪高等学校数学教育会での教育課程検討は、主として後者を検討する方向を取った.理想的な数学教育を念頭に置きながら、高校数学の枠組みの中で、できることを具体化するよう検討した.前者の方向で検討することも非常に重要である.今後の検討に待ちたい. 1997年春から1999年春までの教育課程検討の結論である「高校数学の次期教育課程について」は、本会の会誌[4]に掲載されている.それを基礎として最終的な総括をここに記載する.本稿の具体的な内容は以下の通りである.

今回の提案では、前回の教育課程改訂時に大阪で提案された、「高校生に必要な最低限の数学的素養」という視点は取っていない.そこに社会意識の変化を感じる.例えば「数学基礎」の創設は、制度としても最低限の素養と言う考えを捨てた意味になる.共通の素養を中学校の段階にとどめ、高校では生徒の自己選択・自己責任において学習内容を決定する方向が指導要領全体の基調である.

実際、指導要領全体として、小中学校で削減し、高校では現行レベルを維持している.これは、高校でよほど努力しないと教育内容を消化できない.共通基礎素養をスリムにして、生徒の選択により学習内容を限定せざるを得ないように構成されている.レベルの維持は、ポスト工業化社会の認識に基づく産業界の要請と推測されるが、その是非は10年後にわかるであろう.

案検討の目的

平成9年のはじめから、大阪高等学校数学教育会で教育課程について検討を続けてきた.検討の動機と目的について詳しく述べる.

  1. まず、学校5日制に伴って、教育課程の改訂が日程に上がってきた.現行に比べ全体として2単位の減になるから、数学の科目内容を再構成しなければならない.さらに大阪では現行の教育課程の評判が悪い.どのように修正するかが大きな問題であると考えた. 過去の教育課程の改訂にあたって、大阪では改定案を検討し提案してきた.今回も同様に検討を始めることになった.
  2. 大阪案が現実の指導要領作成に大きな影響を持つとは考えなかった.影響力が無いことを前提とした.それより、多くの大阪の先生方が、数学教育について話し合う機会として、大変有意義であると考えた.お互い思っていることは多いが、きちんと表現する場面は少ない.そして、表現しようとするなかで、我々自身の数学に対する関心などを持続していくことが出来る.議論し、まとめ、そして元気を出す機会とした.内向きの動機で始まった. とは言っても、自分たちの意見を出し、少しでも数学の指導要領が現場にとってよいものにすることが出来ればそれに越したことはない.中央へ働きかけれることはやってみる.積極的に発言することに意義があると考えた.
  3. 一般の人たちにも理解してもらい、支持されるような数学教育が生き残る.そうなるためには、学校の数学教師が何を考え、教室では何が起こっているかを伝える必要がある.流行りの言葉ではアカウンタビティである.言葉の持っている力は大きい.現実の姿を見せ、その改善の希望を感じれるようにしたい.現状認識から討論を始めた.インターネットで案を公開した.
  4. 実際に指導要領が確定しても、各学校で工夫しながら教育課程を実施していくのが、本来の姿である.そのためには教員が受け身でなく、目の前の生徒たちに応じて、どの様に数学を教えていくかについて見解を持つ必要があるだろう.そのためにはまだ確定していない段階で、自由に様々な意見を交換することに意味は大きいと考えた.ここの検討結果は、各学校の指導計画を作成する上で、参考にしていただきたい. また、指導要領を作成する立場にある人たちも、新指導要領が絶対的に最善であるという自信があるわけではないと思う.学校指定科目や「総合的な学習の時間」など学校裁量を必要とするほど、現場での裁量範囲が増えている.我々自身が指導要領や教科書によりかかって授業をするのでなく、教師の数学観、生徒たちの現状から授業を創り出していくことが求められている.

具体的な活動は、以下に述べることとして、全体として様々な意見が語られ、一つの案に集約でき、それなりの成果を収めたと思う.予想通り実際の指導要領への影響は少なかった.それはむしろ、密室の作業である指導要領作成の問題点と思われる[8]

大阪案のまとめ

大阪案を流れるのは、「数学」を大事にしようと言う姿勢である.数学の自然な流れや深い考えを生徒が獲得できるようなシステムを考えた.そのシステムとは、現在数学Cにある内容を削除し、応用を考慮に入れ、微分方程式まで教えることとする.オプションである数学A、B、Cの系列では、2単位で1単元の選択とし、深く学習する形態にする.一方、課題研究を導入し、一つの課題を十分に考える時間を生徒に保障する.また、微積分、特に微分方程式の復活を希望したのは、数学の現実世界への有用性を意識したものである.他分野の科学に役に立つ数学を教えることが大事である.

数学教師の中には、今回できる情報科の免許を取る人も多いと予想できる. 生徒にとっても、数学の計算よりもコンピュータ操作を好む.確かに具体的に物を動かす方が楽しいであろう.刺激の多い現代では、動きの少ない、そして苦しい数学をやるよりも、確かに効果が目に見えるコンピュータなどをやる方が楽しいであろう. しかし、だからこそ、深みのある数学をじっくり学校でやる必要がある.数理的な自然を感じさせるような数学を呈示すべきであると考えた.

数学を実際に愛着を持って学習するには、喜びが必要である.そのためには、一つの主題を十分深く学習し、技能的な習熟も得、それによって現実を分析できるまで育てることが大事である.知識として様々な断片を学習するより、一つの手法を徹底的に学習する方が、生きる力に繋がる.

教室にいる目の前の生徒たちは、数学に対して抵抗感が強い.理解できないものとしてみている.また、操作したり、暗記するものとして数学を観ている.そして入試や定期考査などが無ければ数学などに関心を持たないように見える.

数学を暗記物にしているのは、教材の多さにも原因がある.様々な内容を統一性が無く並べられている.本質的にはコアオプションの形式が本当に有効かどうか、である.大阪案では前提として考えてきたが、次の次の課程を考えるときは必ず検討しなければならない課題である.

一方教師側も考査で良い点を取るように数学を教えているのではないか.進級・卒業させるため、やむを得ない現実はあるが、問題の解法だけを教える場合がある.指導にあたっても、単に計算できることだけを教えていることもある.例えば、積分から区分求積を除外し、積分計算に偏った教授を行っているのが大勢である.

それらの状況を変えるため、「狭くとも深く」を目指した教育課程案を作った. 本案ではまず現状認識を述べ、現行課程を評価し、最後に新課程の構想と繋げる構成である.現場から見た数学教育の実際の問題を明確に出したのが前文である.これはやはり基本的な重要性があると考える.この立場を大事にしたい. その後、教課審の中間まとめが出たので、コメントを加えた.

各校で教育課程作成にあたって

以下の内容は、各学校で実際に数学の教育課程を編成する上で、数学科として実際上参考になることを考えたものである.ただし、これは教育課程検討の最後に報告したものを個人的にまとめたものであることをお断りしておく.また、同一の内容を研究セミナー30号に掲載している.

全体として
年間を通じて、2単位の授業をするより、半期で良いから4単位の授業の方が数学の定着は良い.兵は集中せよと言うではないか.できれば半期は毎日数学の授業とできれば良い.精神的な作業を伴う教科であるから、分散した時間では成果は望めない. また、学校で数学IIまで必修であれば、数学Iで2次方程式の判別式や複素数まで教えるなど、組み替えをする方が良い.教える範囲を限定せず、例えば条件付き確率を数学Aで教えれば良い.学校毎に満足のできる教育内容を作り上げることが大事である.今回難しいことは捨てる内容が少なくなったことである.
理科系の数学
理系では大学が何を試験科目とするかは、一目瞭然であろう.数学IIIと数学Cまで学習する生徒は大変である.現行課程より削減されたのは複素平面だけ、さらに行列で点の移動までは入ったから、中学までの時間減を考えると、高校での内容は各学年1単位ほど増加したと理解した方が良い.特に数学Cに点の移動が導入され、大変負担が増加していることを認識すべきである.6年制の中・高校でないと、十分に消化することは難しいだろう.公立高校の没落が目に浮かぶ.
数学Iと数学A
合わせて5単位で適当で、数学Aの2単位は厳しい.数学Aの必要条件などは方程式や不等式の理解に必要であるから、数学Iで教えることも考えられる.
数学IIと数学B
数学IIの4単位は少し余裕があり、数学Bは時間不足になる.ベクトルと数列では、十分に時間をかける必要がある.その打開策は、情報の1単位分を代替して数学でとり、少しプログラムを教え(0.5単位分)、数学B全体として2.5単位とするのが適当か.現行課程でも数学Bの習熟が悪い.数学IIIの分数関数や無理関数は2年までに学習しておいた方が良い.
数学IIIと数学C
3年での理科系志望の生徒にとっては、難しいが、できれば2年から3年の内容を早期導入することを勧める.数学Cを軽減する方法を考えた方が良い.「式と曲線」を2次曲線に限る等の省略や、問題集の「極と極方程式」の部分を無視するのも一策か.一方理科系でなければ数学Cは色々楽しめそうである.
数学基礎
今回の教育課程改訂の目玉は、数学基礎だと言われている.諸外国にもこのような科目の例はないそうである.理科基礎と並んで中教審の提案だから、数学の方でも拒否できなかったと思われる.もともとは数学Iで対応できない生徒に対する最小限の必修科目である.要するに数学を習得しなくとも良いから楽しみなさい、と言うことか.泳げなくとも良いから、水泳の楽しさを味わいなさいと同じである. 生まれはともあれ、育て方を上手にやれば、化ける可能性もある.飯高先生の論説[7]などにあるように、内容の縛りが無いので工夫すれば、良いものができる可能性がある.一般の大人も対象にして、少し役に立つ楽しい本を作れば、生涯教育の名目も立ち、数学への支持者が増えて良いことだ. 実際に学校で履修を考える場合、必修として1年生で数学基礎のみを課すのは、学校として大変難しいであろう.数学Iと選択する場合、単位数が異なることが一つの困難である.数学基礎で興味を高め、数学Iに続ける方法は、数学基礎の内容が数学Iにつながるものでないことで、殆ど無効である.数学Iの履修後、3年文系などで数学の選択科目とする場合は、一番実現性が高い.最後の数学の授業として教養的なものを生徒に呈示することは意味あることである.しかし、大変さを覚悟の上で教師側は勇気を持って設定する必要がある. さて履修したとして、技能の修得を目指している科目でないから、評価が難しい.レポートか発表か?「感動しました.」だけでは済まない.また、内容だけで引き付けるわけだから、教師によほど熱意が無いとまともな授業にならない. 文系教科に集中させるために、一部の高校で実施されるかもしれない.この場合、数学基礎で考え方が身につけば良いが、実質的に中学の数学知識だけの大学生である.これからは「掛け算もできない大学生」が生れるかもしれない. 結局、この科目を設定した善意は想像できるが、現実に裏切られると予測してしまう.
総合的な学習の時間
この時間に数理的な内容を組み込みたい.役に立つ数学を教えることができる.また、ここでこそ生徒の興味・関心に応じて内容を設定できる.是非有効利用していただきたい. 入試には無関係であるから、生徒の興味関心で選択されることが前提となる.さらに評価は、テスト形式には適合しないから、レポートや発表形式が基礎資料となる.新しい授業が生れる可能性がある.
中学との関連
解の公式や1次不等式が未学習であるなど、多少学習内容は減少する.入学生の学力は、現在より落ちると予想できる.小中で1年分の授業時間が減少しているわけだから. 一方、選択学習の時間が設けられ、中学校独自で英語や数学を学習する.中には解の公式などをそこで学習する生徒が現れるかもしれない.入学生の中で学習した生徒としない生徒が混在する可能性がある.新課程からは、入学生へのアンケートなどが必要になるかもしれない.ただし、まだ中学側の対応は未確定である.

案の変遷

これから先は、少し砕けたい言い廻しで述べる.大阪案作成の活動経過を述べる.次の改訂時には多くの先生方の参加を希望する.

第1次案は、97年の夏に作成、第2次案は98年1月に作成、三訂版は3月に作成、最終案を5月に作成、最終修正を7月に作成した.これらの案は、大阪高等学校数学教育会のHP(http://www.edu-c.pref.osaka.jp/~math )に現在掲載されている.いつまで載っているかわからないが.

案の特徴について述べる.
第1案
課題研究と数学Aの必修化.
第2次案
数学B,Cでの1項目選択.
三訂版
科目編成の精密化.
最終案
教材配置・内容の更なる検討、数学IIでの微積分教材を削除するかどうか.
修正版
数学Aの内容決定と、数学B,Cは原案通りとする.
この変遷過程を以下で述べる.

寺田先生の講演まで

平成8年の末に大阪での取組はどうなっているのだと言う声が、教育会の顧問の先生方からあった.文部省がどうのこうのと言うより、大阪の教育会として仲間の先生が色々話をし、教育観を深めていくことに意義があるのではないか、という内向きの考え方で、始めることになった.具体的な動きとして、まず世話人会を作り今後の方針・日程などを決めていくことになった.なるべく若い人に入ってもらうことにした.

検討を始めるに当たって、何を目標とするか、どの様な形態で検討するか、を話し合った[3]. 大阪では様々な委員会が実際に活動していることが強みである.それを生かし、各委員会で検討を依頼した.基本的な議論の前提は、世話人会で方向付けしたものを提案した.また、国立学校の案や、日数教の案などが紹介された.また、前回の広島大学付属の案がよかったなど情報が少しずつ集まってきた.これが春の段階であった. 何回も全体の集会を持つのは、土曜日が隔週で休みになっているので難しい.出来るだけ電子メールなどを使うことにした.

公庄先生が寺田先生の講演を用意し、これを持って全体の教育課程検討の最初の一歩とした [3]. 寺田先生の講演は、ちょっとした衝撃であった.現行指導要領の理念というものがはじめて語られることになった.先生の講演で現行指導要領が何をめざしてきたか、ということは理解できた.しかし、実施されてから3年もたってやっと基本理念が分かるとは.ここで、いくつかの高校の新課程での授業の流れを説明した.

以上の準備で幹事会で各委員会へ検討を依頼した.

第1次案へ

1学期終了時に各委員会の報告が集まってきた.様々な意見が述べられていた.解析委員会と再入門委員会で話に参加したが、喋り始めるといろいろな意見・見方があって面白かった.2時間ぐらいがあっという間にすぎた.

試案やカリキュラムの構成検討が出された.これらの内容は97年秋の研究セミナー[5]に掲載されている.各委員会からいただいた報告は7月末にまとめて検討した.中には教育課程より、教科書の問題か、教え方の問題に帰着されるような内容も含まれてはいたが、ともあれ現状を反映し希望を述べていた.様々な意見をまとめ、方向付ける段階に入ってきた.

以後それぞれの段階で様々な議論があったが、まとまったものがでている度に研究セミナーを利用して報告できたことは意義があった.

カリフォルニアでは大学や高校の数学教師の間で、一般の人たちも議論に加わった数学教育の討論があったらしい.また教育課程審議会の議事録をプリントしたものを読ませてもらった.例の「2次方程式を解いたことがない」と三浦朱門が言ったという話である.世の中に数学者という悪い奴がいて数学で子どもたちをいじめている.という発言もあったらしい.こんなレベルの議論で教育課程審議会か、というのが感想.まあ、素人の議論というのは発想が違って面白い部分もあった.

8月初旬、前橋の日数教全国大会で教育課程に関して夜話し合いがもたれた.大阪として検討の日程や目標について、報告した.小中学校の話は参考になった(12年を4年区切りとするなど)が、高校の話はほとんど聞けなかった.アメリカの数学教師協会が出している「21世紀への学校数学の創造」と言う本を手に入れた.参考になった.コアカリキュラムなどもこの辺が発生地かもしれない.指導要領と言わず、スタンダードというと何か自由を感じられる.感心したことは、カリキュラム自体の評価のプログラムを考えていることだ.今まで日本でも様々な指導要領があったが、その評価を見たことが無い.

日数教から戻ってから、委員会からの報告を参照しながら、意見を先鋭化して、議論が退屈にならないよう大胆な発想を取り込むことを念頭に置きながら、第1次案を作成した[5].現状認識、現行課程の評価、中間まとめへの意見、その上で教育課程案の理念と実際の展開を記述した.pure Math の志向が強いと言われたが、まあ、それしか出来ないから仕方ない.

ここでのポイントは、課題研究であった.しかし、世話人会やその後の委員会での検討でも意外に簡単に受け入れられた.結局、課題研究のようなものは楽しいことと捉えられ、実際にいろいろ工夫をしながら授業を進める経験も持った人が多いのであろう.科目編成については、この段階では突き詰めた検討までおこなっていない.問題としては、コア部分の流れとオプションの組合せと、ベクトル・数列を同時に入れることの難しさと、数学Cの扱いであった.また、数学Aがオプションで内容の履修が以後の数学IIなどで前提と出来ないことが科目配列に支障がでたので、以後の数学選択生徒に数学IIへの必修部分という性格付けをした.世話人会では最初の現状分析について、批判的な記述が強すぎるという意見が出たが、その時は文部省に提出するのではなく、協力者会議の座長に出すので大丈夫と言った.今から考えてみると、何も分からない状態で始めていることを感じる.ともあれ批判的な文章でも文部省に送ったことになる.それぐらいの自由がなければ、何もできない.

第2次案へ

11月に教育課程審議会の中間まとめがでた.インターネットで文部省にアクセスし、ダウンロードした.予想通り数学基礎が提案された.大阪ではそのような科目の要望は全然出ていない.3つの分野が指定されているがいったい何を教えるのか、特に数学史には参ったな、授業が出来るのだろうか、というのが第1感であった.

インターネットや電子メールをこの教育課程案の作成で良く利用した.大阪高等学校教育会のホームページが出来、ちょうど教育課程案も出来てきたので良いタイミングであった.しかし、ホームページを覗いても意見を送ってくれる人は少数であった.最初から予想していたが、電子メールの利用で会議の回数や時間を減らすのに効果があった.世話人会を開く1週間程度前に原案をメーリングリストで送り、参加確認が取れた.また、その原案作成の段階でも数人の先生の意見を聞き、原稿ミスなどをチェックすることも出来た.

近数教(奈良大会)で1次案を報告した.聴衆10名前後で初めてOHPを使った.課題研究を中心に報告した.一般の人向けに数学教育の大事さを語ることが必要になっている事を感じた.そのとき、奈良県は教育課程全般の構想から新入生の計算力調査もあり、後を引くことになる数学基礎に含まれる消費者数学などを報告していた.このあたりが数学基礎の震源地の一つであったのか.

12月始めの土曜日に、指導法研究発表大会が次期カリキュラムのパネルデスカッションがあった.しかし計算が問題になり、議論がかみ合っていたとは思えない.ここでの議論で印象に残ったのは、公庄先生の「計算力が必要ないといっても、入試に必要だ」と竹之内先生の「数学嫌いをなくすのも大事だけど、数学好きを作ろう」という言葉だった.課題研究が成功すれば大したものである.しかし、実施しようとすると授業形態や評価など考えなければならないことはたくさんある.何よりも教師側のやろうとする気持ちが大切である.

数学は計算ではない、というのは正しいが、だから計算を電卓に、といわれると「少しおかしい」.意味のない計算、練習のための練習、これらを最小限にすることは、意味あると思う.むしろ色々なことを分かるために計算をするのは、是非増やしたい.世界を理解する道具として、計算は大きな位置を占めるのではないか.目的が明確な計算の経験を積むことが大事である.「みんなのための数学」「100万人の数学」は大変難しい.それぞれの個性に応じた数学(実現は不可能だろうけど)に近づくことが目標だろう.

さて、今回の改訂では総合学習の時間が小学校の4年から導入されるので、授業時間が、土曜日がなくなる以上に減少する.算数・数学は英語と同じように、実際に授業が減ればその分教えることを減らさないと生徒は理解できなくなる.知識だけではなく技能修得を目標としている以上やむを得ない.

結局高校での教授内容の内容の削減は必然となる.それを受け身でなく、積極的に生かそうとした案が、オプション科目での1項目選択である.百貨店みたいにあれこれ陳列するのはやめよう.一つの内容を深く理解し、自由に使えるようにしよう.それが生きる力を育てる基礎である.しかし、数学教師としては色々な内容を教えたい欲求がある.また、前回の改訂までは数学の世界としてまとまったものが高校で教えられたと思う.それを捨てるのは、抵抗があったが、結局8時過ぎまで侃々諤々の議論をやっている中で、希望が見えたのはこの1項目選択であった.公庄先生が言った「1項目でいいでしょう」という発言から俄然雰囲気が変わって、結局8時過ぎに教材配置の大枠が決定した.なかなかドラマチックな展開であった.

ともあれ、3学期にかけて検討してもらう材料を各委員会に提案することが出来た.この原案について委員会で検討してもらった.年も押し詰まったころ、巡り巡って竹之内先生から数学教育の会を紹介してもらい、出席することになった.

数学教育の会では、総合的な学習の時間が入ることで小中の授業時間がかなり減少することが確認できた.また、微積分を高校では多項式レベルにとどめて、残りは大学へという発想にもはじめてお目にかかった.小学校の分数計算、中学の幾何、高校の微積分は外せない.大阪からの報告で課題研究と1項目選択について話してきた.課題研究については、そんなことが出来る先生がいるのか、という点で理解を得られなかった.実践を重ねる必要がある.

数学の先生で数学を楽しんでいる人、または数学をやっている人はどれくらいいるだろうか.生きる力を育てると言っても、教師自身が数学で生きる力を得られていなければ生徒に教えるなど、夢のまた夢であろう.しかし、同時に高校現場で雑用に追われていることをよしとしていない先生も多い.何かの機会があれば、または何らかの強制があれば、数学を楽しんで教えることの出来る教師は意外に多いのではないか.また、それは決して難しい数学をやるわけでなく、例えば習った事実を拡張して実験してみるとか、実際に測定・測量するとか色々なつき合い方があるように思われる.分からないことを楽しめばよい.まず教師が楽しめということである.そうすれば色々な意味で、生徒にも伝染するし、学校自体も住み易いところに変わっているのではないか、生徒にとっても、教師にとっても.

第2次案で教課審の意見募集に応募した.個人的に高校時代の友人で、大学の先生をしている人に原稿を送った.わりと詳しく読んでくれ、特に「皆が良くないと言っている教育課程がどうして決まったかそれが知りたい」と言ったことが印象的であった.

三訂版

日程が迫ってきた.CAI委員会の北摂分科会の先生方が、私案を作成され、積極的に参加された.コンピュータの扱いなど痛烈に攻められ、逆にいろいろ教えてもらった.まあ、自分でもようわからんもん書いているんだから、仕方がない.ともあれ、ここで完成したのが三訂版である.

ところで、今回の教育課程検討会議では、参加メンバーを限定していない.基本的に誰でも参加でき、意見のある人は言ってください、案も考えてください、という形態で進んだ.また、そのために大事なことは中心になる原案をしっかり作成し、議論の的を作ることと思う.メーリングリストで前もって流し、参加者が原案を検討していたことで、散漫な議論になったことは一度もなかった.このような横断的な内容を検討するには適した形態であった.

小中学校の教育課程の検討も今回は必要である.我々だけではこれはどうしようもなかったが、教育センターの芝田先生が、小中学校の先生の意見を取り入れて、工夫した教育課程案を作成された.芝田先生は高校の検討会にも参加され、様々な意見交換が出来た.最終案の段階では、小中の連携を考えた案を構成できた.

3月3日に世話人会を持ち、三訂版を決定した.98年春の研究セミナー[6]に掲載されたものである.科目構成に未成熟な部分を持っていたが、基本的な検討はここで終了した.

最終案の確定

3月中旬に数学教育の会、3月末に日数教の検討会がもたれ、参加した.数学教育の会では、芝田先生が小中の教育課程案を報告され、高校は前回からの修正部分を報告した.課題研究は、総合的な学習の時間に活かせるという話も聞いた.日数教の検討会は、参加者が20名に満たない、活発な意見もでず、魅力的な提案もなかった.教育課程を考える先生方が、全国的に減少している事を感じた.これまでの教育課程の改訂でどの様に決まっても、それなりに対応できると高をくくっているのか、それとも我々と同じく、教育課程案を考えても、闇夜に鉄砲、何がどう検討されたか全然分からず、努力を払う甲斐がないと考えておられるのだろうか.全体として数学教育には受け身になっていることが感じられる.冒頭に正田先生も同じような内容を話された.ともかく現状を打破するための課題研究と1項目選択、と叫んで帰ってきた.

東京の二つの会合を終わって、大阪案として最終案に収束する時期に入ってきた.芝田先生とも打ち合わせをし、中高の連携をつけた.5月の連休前に最終案作成のための世話人会を持った.ほぼ全体の骨格で合意が出来ていたので、科目構成を中心に検討した.このとき、数学IIに多項式の微積を入れるかどうかで、議論した.最後に次に次の改訂ではどうなるのか、と質問され、確かに一体どうなるのか、これはなかなか面白い発問であった.今回の改訂について様々な議論をしてきたが、10年以上先を見込んだ見通しというのは持っていない.世の中全体もおそらく大きく変動するだろうし、その時科学技術の基礎、というだけでは数学は一部の生徒のものになってしまう.逆に過去の指導要領の流れ、歴史的な高校教育の位置づけなどを本来は考えるのが、筋道であろう.また先進国の数学教育という難しさがある.しかし、この部分について大阪教育会に歴史家はいない.基本になる歴史認識・現状認識が無ければ、この教育課程案作成では荷が重すぎる.

5月の幹事会で最終案を無事報告し、未来のことは分からないと呟きながら、一つの仕事が終わったことを感じた.これで足を洗えると、その時は思っていた.

事後処理または営業

教育課程の最終答申が出たあと、最終案の修正を加えるかどうかで、7月上旬に最後の検討会を持った.

答申を受けての変更であったが、僕は相変わらず日和って数学IIに数列の一部を入れる、など妥協案を考えていたが、結局会議の方向は今までの理念を重視し、そちらの考えで修正案を作成した.また、答申の読み込みで数学Aの必修化は理解できたが、数学B,数学Cなど指定が無いので、1領域でもいけるか、と思ったら前の答申の書き方と同じで2領域の選択であった.ここでまとめた内容を文部省へ送ったが、相変わらず何の反応もない.

8月の山口での日数教で、「大阪では数学基礎の検討はしない」と挑発したら、やはり奈良の先生から反論が出た.そうでなくちゃね.受け答えしている内に、コアオプションは、複線化の代替であって数学基礎という新科目を設けなくとも、数学Aを2分割し、その半分を数学基礎的内容とし、必修扱いというのが全体のカリキュラム構成で統一がとれているな、と気がついた.今更言っても仕方がないけど.

大阪案では数学Aにグラフ理論を入れ、具体的な対象から数理的な考えを育てることを目指した.これは数学基礎の中に「身近な現象から数理的な考え方」という部分に対応している.本号にある「グラフ理論を教える」に具体的な教材がある.意に反して数学基礎にあたる内容を教育課程委員会で研究することになった.

他に山口の先生から、自分たちで教育課程の検討をする場合の注意する点は何か、という面白い質問が出た.ともかく案を考えてもそれが採用されるわけではないが、虚しさを感じず、先生方で色々話をすること、そして自分の学校の教育課程に活かすことが大事です.とまじめに答えた.ともかく仲間を作れと言うべきだったかな、と後から思った.部会講演の藤田先生は、今回の協力者会議のメンバーは非公開だといっていた[8]

活動の大きな流れは以上である.全体を振り返って、次期教育課程について討論でき、教育課程案まで出せたのは3都府県である.なぜ大阪案が出来たか.

  1. 交通の便利さもあるが、日常的な研究会の活動があった.
  2. 数学の内容、指導法、大学入試、コンピュータなど様々に関心を持った先生方が集まって議論することが出来た.
  3. 研究セミナーと会誌という2本の雑誌を持っている.

例えば、三重県・奈良県などと比べ教育学部の先生との関連が薄いのは大阪高校数学会の特徴である.教師同士が集まって活動し、特に指導者は存在しないのが良いところである.今回の教育課程の検討で、教育内容・指導法・CAIなど様々な分野で活動していた先生方が一緒に議論できた.

最後に

2年間の教育課程の検討で、考えたことなどを最後に書いておく.

子供のプライドが無くなってきている.数学ができなくともかまわない雰囲気である. 意欲・関心をみる「新しい学力観」の存在が、ちらちら感じられる.その実体は良く分からない.基本的な文書も無いようだ.確かに結果は多少悪くとも、意欲的に学習した生徒にはそれなりの評価を与えるのは現場では常識だ.能力だけの評価をしているわけではない.しかし、それは内向きの話で外向きにそんなことが通用するとは考えない.

外向きとは受験のことである.それは客観的に評価する必要がある.意欲が含まれた調査書なんて信用できない.意欲を評価したければ、選考者の責任を明確にして、入試に面接を入れることだ.ともかく100mを10秒で走ることを評価するのであって、走る気持ちを能力とみるのは全くおかしい.それが学力については混乱している.

現実の子供を見て、「生きる力」を強調する気持ちは分かるが、解決方法が新しい学力観にあるとは思えない.数学に限らず、全体として生徒が幼児化していることが問題である.「こどもの権利条約」にある意見表明権を注目するのが、未来へつながる道かもしれない.

論理などを重視する意図が指導要領にあるが、論理を勉強するだけで論理的な力が付くとは思えない.論理は必要な環境において、それを表現したいと考えさせれば、論理的な能力を育てることになる.語る内容を持つことが大事である.表現したいことがあれば、コミュニケーション能力が次の問題になる.しかし、客観性で大人の世界が動いていないから仕方が無いか.

意味のある計算を、と本文で書きながら、意味の無い計算でも持続的に計算することは、それはそれで意味があるのでは、という気持ちもある.生徒の状況によるわけだが、何も考えず空になって計算する、これも大事だ.ランニングみたいなもので、リズムを取りながら計算すれば良い.写経かもしれない.これらを否定する立場があるが、人間はそれほど単純じゃないとも思える.全員に強制するわけでなく、写経だけならつまらないけど.

学習の身体性に関わるのかもしれない.ともかく抽象的な数学は過去のものになりつつある.先端の数学もその傾向があるらしい.形式的な取り扱いが難しくなっている.模型を作ったり、実験する数学と具体的な量の変化を見る数学、現実的な数学が求められている.「数と式」から「2次関数」という流れの復活は、代数優先の見方であって、むしろ時代に逆行している.

大学の先生には、高校で微積をやらなくとも大学でやれるとか、ベクトルを大学で、と話す人がいた.経験からみて、大学の教育能力はそれほど高くないと感じる.しかし、一方それは結構なことで、例えば入試科目にベクトルを指定せず、数列だけとすれば、実質的に大阪案の1項目選択が可能になる.まだまだ大阪案の息の根は止まっていない.

大阪案の検討では、コアオプションを前提とした.本当はこの形態の是非を検討する必要がある.しかし、コアオプションは現実には機能していない.実際コアオプションが破綻したのは、入試科目が横並びだからだ.おそらく新課程になっても機能しないだろう.その意味で一つのあだ花であった.コアオプションは複線化の一つの形である.次は明確な複線かもしれない.

教育課程案の最後に「いつまでも数学という教科があるとは限らない」と書いた.数学が生徒・保護者に支持されるか、それが問題である.情報科の免許をとられる先生も多いだろう.役に立つ数学を構想する必要がある.数学を使うことが時代の要請である.理科や情報などと科目を越えた教育が今後増えていくと予測される.

また、塾を公認する方向が出ている.しかし塾が文化センターになるわけはない.そんな物に保護者は多額の授業料を払わない.となると、受験勉強は塾で、新しい学力観は学校で、という分担になるのか.ますます教育費は増大していく.現在のところ一般に公立高校の先生の質は高いと思われるが、いつまで続くのだろうか?

もし、教科書が自由に作られ、教師が自分達の判断で、教材や問題集の組み替えを行えば、指導要領は単なる大学入試の試験範囲である.実際教科書が影響するのは中程度のレベルの学校で、進学校では数研の問題集中心、これら以外の学校では自作のプリント学習が大部分であろう.学習の進んだ生徒の数学文化は入試問題かもしれない.大学の自縄自縛か。

指導要領全体として、小中学校では内容削減でゆとりを持たせ、高校では現行レベルを維持している.一見妥当のように思えるが、実際はどうなるか不明である.小中学校で子供たちがしっかり基本的な内容の理解と集団遊びを楽しんで、元気一杯で高校に来てくれれば良いが.

教育課程自身がどの様な討論で決定されているのか、教育課程審議会の討議を読んでいても、一般的な話があるだけで方向が見えてこない[8].結局審議会はお話の会で官僚が実質的な決定をしているのか、もしそうなら次回の教育課程が悪ければ誰が責任をとるのか.我々が案を考え、文部省に送ってもそれがどの様に検討され、どういう扱いになっているのかが、見えない.それでは他の府県で案を作成しようという気にならないのも当然である.また官僚が作ると総括ができない.それは前任者を傷つけてしまう.例えば、前回の教育課程で情報化という題目で、オプションにコンピュータ関係の内容が入ったが、それがどのように扱われ、今回の情報科の設立になったのか、不明である.どこに基本的な調査があるのか.

思い出すと、1996年9月25日に自民党が「指導要領廃止」という公約を出す、という記事が朝日新聞に出た.自民党もやるな、と思ったら2日後取り消しになった.指導要領の大綱化による規制緩和を期待する.

現在のように行政組織である文部省が教育内容を規定することに違和感を感じる.アメリカの全米数学教師協会(NCTM)のような組織が日本ではないから、文部省になるのか.指導要領の強制的な側面が日本の教育が権力的になる一つの原因となっている.ただし、今回でも指導要領自体の基本的な方向が、誤りであると決めつけているわけではない.よく考えられていると思う.しかし、我々がそうであったように、その趣旨は現場に受け入れられないであろう.

ともかく数学の教育内容を考えることは、基本的に文化の問題で、行政の問題ではないと思う.産業界の人も分かって欲しい.次のスタンダードの検討がNCTMで昨年から始まっている.ホームページ(http://www.nctm.org/standards2000/ )で公開されているから、是非見て欲しい.民間でオープンな議論は素晴らしい.特にそこに"All comments wellcomed."と書かれていることに感動した.

  1. 教育課程プロジェクトチーム:「教育課程」改善案、「教育課程」改善案の一試案,大阪教育会会誌27 (1987) 2-7
  2. 山田 秀実:教育課程プロジェクトチームに関わって,大阪教育会会誌30 (1989) 32-35
  3. 公庄 庸三:次期教育課程改訂に向けての取り組み,大阪教育会会誌38 (1997) 32-38
  4. 大阪数学教育会:高校数学の次期教育課程改訂について,大阪教育会会誌39 (1998) 9-19
  5. (特集)教育課程案,大阪教育会研究セミナー26 (1997) 18-29
  6. (特集)教育課程案,大阪教育会研究セミナー27 (1998) 2-15
  7. 飯高 茂,学習指導要領の改訂によせて,数学セミナー38 4月号(1999) 44-49
  8. 細井 勉,新しい高校数学,数学セミナー38 7月号(1999) 50-53
  9. 汐見稔幸 他2名,時代は動く どうする算数・数学教育,国土社 (1999)